2012年04月25日
■[読書] 登美彦氏、小説を読む。
森見登美彦氏は最近、こういう小説を読んだ。
ときどき登美彦氏は、書店で平積みされている本を読み、
アップトゥデートなジェントルマンになろうとこころみる。
たいてい無駄な努力に終わる。
登美彦氏はこの小説をグイグイと読まされてしまい、
その結果、頭が熱気でパツンパツンになり、疲労困憊した。
「おもしろいのは良いことだが、まったくしんどいことだ!」
登美彦氏は喘いだ。
登美彦氏、曰く―
あんまりおもしろい小説というのも考えものである。
徹夜で読まなくてはならなくなったり、
手に汗を握らされたり、
はらはらさせられたり、
現実に戻ってくるのに苦労したり、
とにかく身体に毒である。
つまり、あるていどのおもしろくなさを混ぜるほうが、
読者に親切ではなかろうか。
なぜおもしろさばかりを讃えるのか。
おもしろくなさをこそ讃えなくてはならない。
なぜなら人生なによりも健康が大切だから。
健康第一。
健康第一。
これは果たして真実であるか?
筆者邪推して曰く―
これは登美彦氏が、
「自分の書いたものがテンデおもしろくない」という事態に備え、
あらかじめ逃げを打っているのである。
登美彦氏は言うだろう。
「作品がおもしろくないのはおもしろくないように書いたからである」
「意図的におもしろくなさを混ぜることによって、読者の健康増進をはかったのである」
「おもしろさなど二の次だ。読者の健康が第一である」
「読者の健康にも配慮する森見登美彦です」
「なむなむ」
読者はくれぐれも騙されてはならない。
2012年04月20日
■[日々] 登美彦氏、春を迎える
森見登美彦氏は生きている。
じわじわ元気になってきた。
先日の筆者の書き方が下手くそで、
大勢の人に心配をおかけしたことをお詫びします。
「あんな書き方したら心配されるのは当然ですよ」と万城目学氏も言った。
しかし、登美彦氏の一番苦しい時期はもう終わっている。
(と筆者は信じるものである)
なにしろ春も来たのであるから。
にわかに世の中は春になる。
かつてはともに迷走した学生時代の盟友明石氏が、
ついに独身貴族を引退した。
登美彦氏は東京の立派なホテルで開催された披露宴に出かけた挙げ句、
不本意ながらグダグダなスピーチをして心に深い傷を負った。
新幹線に乗って逃げ帰ってきても、まだずきずきと痛む。
傷心の登美彦氏を日本に残して、
明石氏はイタリアのメルヘンチックなリゾートホテルへ出かけていった。
今頃はボサボサ頭でムツカシイ顔をして地中海を眺め、
いびつな形のパスタか何かそれっぽいものを、
もむもむと頬張っているに違いないのだ。
「なんということであろう!」
登美彦氏は呟く。
「勝手に幸せになるがいい」
登美彦氏が引き籠もって傷ついた心をやすめていると、
万城目学氏が京都へやってきた。
誘われて京都の小さなスペイン料理店へ出かけていくと、
一番奥のテーブルに、
万城目学氏と綿矢りささんと青山七恵さんが座っていた。
青山さんと登美彦氏は初対面である。
万城目氏は「森見さんは石垣つきの豪邸に住んでいる」などと、
根も葉もないことを吹聴して綿矢さんたちを混乱させ、
あいかわらずの悪党ぶりであった。
「万城目氏が今の連載に手こずればいいのに」
登美彦氏はそんなことをひそかに思ったが、
自分の仕事がうまくいかないからといって、
他人の失敗を願うのは決して立派なことではない。
その夜、登美彦氏はおおむねボーッとしていた。
青山さんは万城目氏に頼まれてサインをした。
綿矢さんはトマトジュースをしこたま飲んでいた。
そういうわけで、登美彦氏は生きている。
じわじわ元気になっている。
2012年03月25日
■[日々] 登美彦氏、鉄道で旅をする
森見登美彦氏は、どっこい生きている。
登美彦氏はつい先日まで、ふいに息が苦しくなることがあった。
心臓がへんな動きをすることもあった。
登美彦氏の身体に問題はないようである。
しかしそう言われても、怖いものは怖い。
怖い怖いと思いながら我慢しているうちに、
息が苦しくなったり、心臓が止まりそうになったりすることは減ってきた。
しんどくて目が覚めることもなくなってきた。
けれども、まだ頭がぐらぐらしたり、身体が痛かったりする。
それらを登美彦氏はお薬と運動でごまかしている。
登美彦氏は毎日が日曜日である。
なぜ毎日が日曜日であるかというと、小説の書き方が分からなくなったからである。
もともと大して分かっていたわけではないが、いよいよ本格的に分からなくなった。
「うーむ」
登美彦氏は机の前で腕組みをする。
ちょこちょこと書いてみるが、すぐ投げ出してしまう。
まるで「小説」を書いてるような気がするからである。
「待ちたまえ、そもそもキミは小説を書いているのではないかね?」
と言う人があるかもしれない。
それはちょっと間違っている。
これまでは「小説みたいなもの」をへろへろと書いていたら、
いつの間にか「小説」になっていたのである。
それがアタマから小説になってしまってはお話にならない。
どこに工夫の余地があるのか。
「しょうむな!」
登美彦氏はウンザリしてしまう。
体調が悪いから小説が書けないのか、
小説が書けないから体調が悪いのか、
小説を書きたくないから体調が悪いのか、
それともぜんぶいっしょくたになっているのか、
登美彦氏には何にも分からない。
小説の書き方が分からなくなった小説家というのは、何もすることがない。
だから、図書館で借りてきた岩波少年文庫を読み耽ったりする。
家の近所を探検したり、旅に出たりする。
ときどき京都の秘密基地へ出かけていく。
アニメの「化物語」を延々と観たり、山本周五郎を読んで涙したり、
そうして夜遊びしているところをKBS京都の人に発見されて、
ラジオに出ませんかと言われたりする。
しかしおおむね、何も作り出していない。
読者の人、とりわけ親切な読者の人たちは気に掛けてくれている。
「登美彦氏のヤツ、いま何をしてるんだろう?」
だから、
「登美彦氏は生きている」
という情報を発信しておく次第である。
毎日が日曜日ではあるとはいえ、
登美彦氏も小さな仕事はしている。
『旅と鉄道』5月号(朝日新聞出版)に登美彦氏が登場している。
ふはふはした旅の記録である。
この旅に同行した朝日新聞出版の担当編集者は、
登美彦氏の次作『聖なる怠け者の冒険』の出版という任務を帯びている。
この小説は、かつて朝日新聞の夕刊に連載されたが、
書き直しが終わらないうちは出版できない。
たとえ登美彦氏が出版を許しても、お天道様が許さない。
そして担当編集者は登美彦氏の巻き添えを食って地獄を巡ることになった。
書き直しても書き直しても書き直し。
駄目な小説を書いた作家が死んだあとに行く地獄というのは、
そういうところではなかろうか。
「まさか、もう自分は死んでいるのではあるまいな」
この『旅と鉄道』を読んでくれる読者の人は、
「編集者は作家と旅をするだけでいいから暢気だなア」
と決めつけないでいただければ幸いである。
迷走する原稿をめぐる腹の探り合いは巧みに隠蔽されている。
彼らは鉄道に乗りながら地獄を巡っている。
とはいえ、編集者が地獄で麦酒をたくさん飲むことだけはたしかである。
これはもう、しょうがない。
2011年12月15日
■[日々] 登美彦氏、静けさを味わう。
森見登美彦氏はのんびり暮らしている。
奈良というところはたいへん静かである。
学生時代、登美彦氏は北白川バプテスト病院のそばに住んでいた。
四畳半の内も外も、たいていひっそりとしていた。
しかし卒業後は賑やかな方へ出てきた。
京都の四条烏丸であるとか、東京であるとか。
そして、いつの間にか、登美彦氏は賑やかさに馴染んでいたようである。
奈良に帰ってきた当初は、その静けさにびっくりしたという。
登美彦氏は自転車でふらふらと走っていき、
ふと貯水池の土手で止まる。
遠くには奈良の盆地を囲む山並みが見え、
天空は、叩けばカンと鳴りそうなぐらい澄んでいる。
耳を澄ましてもシンとしている。
あたりに充ちた静けさが、
まるで高級化粧水のように登美彦氏の魂に浸透してくる。
「これは奈良的静けさだ」
登美彦氏は主張する。
静けさに「奈良的」などというものがあるのだろうか。
その点、やや疑問である。
しかし「奈良的静けさ」が浸透したおかげで、
登美彦氏の魂は潤いを取り戻してきた。
ときどき苦しくなるが、なんとか誤魔化せる。
「だましだまし行こう」
登美彦氏は呟く。
そのかわり、奈良的静けさは麻薬のように登美彦氏を酔わせる。
登美彦氏は一週間に二日、京都の仕事場で仕事をする。
しかし奈良的静けさに慣れると、
京都的賑わいですら登美彦氏を疲れさせるのである。
奈良的静けさの中では、一日一日がまるで流れるように過ぎる。
遠く奈良時代までさかのぼってみれば、今日という一日は一瞬である。
雄大なリズムで、太陽は昇り、また沈む。
山々は朝陽に染まり、夕陽に染まる。
繰り返し、繰り返し。
妻が珈琲をいれながら「やうやう白くなりゆく山ぎはー」とぷつぷつ言う。
のんびりするなというほうが無理な話である。
登美彦氏は少しずつ仕事をする。
なにしろ登美彦氏はこの不調から抜け出さなくてはならぬ。
ときどき、登美彦氏はベランダで日向ぼっこをしながら、
「まるで隠居したかのようだ」
と思うことがある。
しかし、まさか。
隠居している場合ではない。
2011年11月26日
■[日々] 登美彦氏、更新にそなえる。
森見登美彦氏には、色々あった。
登美彦氏は日誌を更新できずにいる。
間を空ければ空けるほど、更新のしにくさは指数関数的に増える。
書かないから、書けない。
書けないから、書かない。
日誌も小説も同じことである。
その膠着状態の中では、「更新しにくさ」のみが高値を更新し続ける。
つい先ほどまで、この「更新しにくさ」が天文学的な数値を示していた。
この「更新しにくさ」を換金して、一生遊んで暮らせぬものか。
登美彦氏は東京を去って奈良に暮らしている。
ときに具合が悪かったりするものの、おおむね元気になってきた。
それでも仕事は進まぬ。
泉は枯れた。また枯れた。
だが待て。
実はたいてい枯れている。
もともとそんなに湧いてない。
何を慌てることがあるのか。
そうとも。
登美彦氏はそんなことを呟いている。
登美彦氏が本日読んだ素晴らしいマンガをここに掲げ、
この傑作への無言の賛辞を電子的空白に込めて弾丸となし、
更新されぬままに膠着した日誌の再開を図る。